住職 佐山拓郎
法話コラム ウグイス谷から 住職 佐山拓郎
日曜劇場「ノーサイド・ゲーム」が面白い。大手自動車会社の戦略室にいた主人公が、上司に逆らったため、会社が持っている社会人ラグビーチームのGMという立場に左遷されてしまうが、与えられた場所で奮闘しているうちに、ラグビーの面白さに目覚め、徐々に会社に影響を与えていくという物語である。
素人である主人公が、ルールや技術的なことなどを覚えながら物語が進んでいくので、我々視聴者も、知らなかったラグビーの魅力に、どんどん気づかされていく。
ニュージーランドのラグビー代表チームが、試合前に踊る「ハカ」というダンスがある。民族に古くから伝わる踊りで、戦いの前に自らの力を誇示し、相手を威嚇する意味があるらしい。ラグビーは戦ではないが、対戦を望んでくれたチームへの敬意や、その場所で全力を尽くすという、誓いにも通じるのだという。実に勇ましく、格好いい儀式ではないか。
そして何より、ラグビーというスポーツが美しいのは、試合終了のことを「ノーサイド」と表現すること。戦い終えたら、両軍のサイドなどなくなり、同じスポーツを愛する仲間に戻る。この、スポーツマンシップにあふれた清々しい精神が、ラグビー最大の魅力なのだ。
仏教には「中道」という教えがある。簡単に言うと、両極に偏らない正しい心、という意味に近い。
ノーサイドの精神も、中道の心に通じるものがある。試合前は、自分の力を出し切るためにハカを踊って士気を高めるが、試合が終われば、どちらのサイドもなくなり、お互いの健闘をたたえ合う。言うだけなら簡単だが、難しいことである。
中道でいようと心がけていても、生きているうちに、なんとなく偏ってしまうのが、人間の心。だからこそ、ラグビーでは、試合終了の合図を「ノーサイド」だとすることにより、あえて意識づけているのではないか。あらためて意識することで、試合というコミュニケーションを通じて、相手への尊敬は深まり、試合中は全力を尽くし、試合後はお互いをたたえ合うという関係が出来上がる。自分自身にも、相手側にも偏らない、まさにラグビーは中道のスポーツなのだ。
ドラマ「ノーサイド・ゲーム」は、これから山場を迎える。逆境の中、ラグビー部の命運を握る主人公が、予算の関係でラグビー部を切りたい上層部と、存続を目指す部員たちの間で、「中道」を貫けるかどうかが、物語のカギを握っているような気がする。
きっと、今は反目しあっていても、結局は同じ会社の仲間であることに気づき、ひとつの目標に向かっていく「ノーサイド」となるのではないかと思っている。
前住職 佐山拓郎(第40世 平成26年~令和3年)
昭和のある年の秋彼岸、東京下町の小さなお寺で生まれる。
前職はサラリーマン。縁あって目黒の羅漢寺の住職となる。
執事 福田 貴宏
現住職 無垢品 宗生(第40世 令和3年 晋山)
縁を大切にしたいと人気声優と手紙のやりとりを続け、
今年の1月には彼らが司会を務めるラジオ番組にも出演する。
執事 堀 研心