執事 福田貴宏
入学式、卒業式、成人式、結婚式など人生のステージが変わるたびに、なんらかの式を私たちは経験してきています。式なんてくだらない、と思うかもしれませんが、全ての式は後から出来るものではないし、様々な式は後から考えると、やはり一つの区切りとして自分に刻まれます。「お葬式」人生の最後の式となります。
人が亡くなってから、お骨になるまでの一連の流れを葬送儀礼(そうそうぎれい)といい、略して葬儀(そうぎ)といいます。葬儀の一般的な流れとして、~死亡~死亡診断書~死亡届~末期の水~湯灌~死化粧~死装束~納棺~お通夜~「葬儀式」・「告別式」~火葬~骨上げ式典~があります。
この中で行う葬儀式とは、故人をあの世に送る宗教儀式であり、告別式は故人と家族や参列者との別れの儀式となります。司会者から「葬儀並びに告別式を開式します」というように、最近では式を分けないで、1つの式で行うことが多いです。この「葬儀式」と「告別式」を合わせて「お葬式」といいます。
葬儀式では、宗教者が中心となって式が進みます。なぜ宗教が必要なのでしょうか。そもそも宗教とは何でしょうか。実は宗教の始まりは、人間ではどうすることもできないことが起こったとき、それを説明するために宗教は生まれてきました。そしてそこから救われる方法を求めて宗教は発展していったのです。もちろん宗教的に祈るしかなかった自然現象による災害や病気などの多くは、科学や医学の発展によって解決してきました。しかし人間の根源的な悩みは解決しません。何のために生きるのか、人はどうあるべきなのか、何が幸せなのか、そして死んだらどうなるのか、これらに答えを用意してきたのが宗教です。生まれてから死んだ後までも面倒を見てくれるのが宗教なのです。だからお葬式には、宗教が絡んでくるのです。宗教でいう死後の世界といっても、定義はありません。言い方も異なってきます。天国や浄土、天津国(あまつくに)、黄泉(よみ)の国などです。死後の世界がすべていいところとは限りません。地獄、悪霊、祟りなども語られてきました。宗教者は死者の魂にお祈りをして導きます。西洋では天国の神の身元へ、あるいは復活できるように、仏教では浄土へ行くように、神道も神の元へ還るようにお祈りをします。宗教者が死者の魂をよりよい世界へ導き、参列者がそこでの幸福を祈る、これが葬儀式です。
告別式は葬儀式の後に行われます。こちらは遺族が主導して行われますが、宗教者も参加することがあります。花を手向けたり、お焼香したり、弔辞が述べられたり、弔電が読まれたりします。最後に、故人が生前にお世話になった方へ、喪主が参列者にお礼を述べたりします。最近は近親者で葬儀を済ませ、友人や会社関係、付き合いがある方には後日お別れ会という名の告別式もあります。死は残された者たちにとって悲しみ、心の痛み、不安を与えます。死を受け入れるには、長い時間を要することが多く、また様々な葛藤を伴います。故人との立場が近ければ近いほどこれは強く現れます。みんなが故人の死後の幸福を願う心によって、様々な人たちに支えられ、また寄り沿い慰めるという、心を癒すプロセスが必要となってきます。まずはみんなで‘さようなら’を言ってその状況を分かち合う、その役割を果たすのが告別式となります。告別式に行くことができない場合は、お通夜に参加します。お通夜は、故人と過ごす最後の夜なので、昔は近親者のみで行われてきましたが、ある意味、そんな人のためにもお通夜が必要になっているかと思われます。
最近では、お通夜を行わないでお葬式だけを行う一日葬(いちにちそう)、あるいはお通夜・お葬式を行わず、納棺後すぐに火葬場へ直行し火葬する直葬(ちょくそう)という言葉ができました。確かに葬儀費用や、遺族の体力、精神的な負担などを軽減します。また死亡年齢の高齢化や、核家族化、親戚とのつきあいも縁遠くになっていることが背景にあるのかもしれません。しかしあまりにも簡略化、効率化だけが先走っているような気がします。たとえ参列者が1人だけだとしても、お葬式はやるべきでしょう。といっても経済的理由もありますから、無理にでもお葬式をしなさい、と言っているわけではありません。たとえ直葬だとしても、火葬場に宗教者を呼んでお祈りをするくらいのお葬式は、最低限やっていただきたいものです。厳しい言い方ではありますが、お葬式を行わずに火葬される、あるいは埋葬するという行為は、人の尊厳を損なうものではないでしょうか、と私は考えています。さらに最近では0葬(ゼロそう)なるものまで出てきました。火葬した後、遺骨を持ち帰らず捨てるのです。なぜ日本人は、ここまで死者を軽んじる民族に落ちぶれてしまったのでしょうか。
日本は、神道を中心とした先祖供養、祖先崇拝の国でした。そこにインドから始まった仏教という、新しい宗教が入ってきました。個々の解脱を目指す宗教です。それから約1500年という長い年月の間に、日本独特の仏教に変化してゆきました。現在では、葬儀仏教だの先祖供養仏教だのと言われています。悪口のように聞こえますが、それほどまで葬儀や供養を大切にしてきた民族であったともいえます。亡くなった方を弔うことは、人の道、そして日本という国そのものであることを知っておいてほしいものです。
前住職 佐山拓郎(第40世 平成26年~令和3年)
昭和のある年の秋彼岸、東京下町の小さなお寺で生まれる。
前職はサラリーマン。縁あって目黒の羅漢寺の住職となる。
執事 福田 貴宏
現住職 無垢品 宗生(第40世 令和3年 晋山)
縁を大切にしたいと人気声優と手紙のやりとりを続け、
今年の1月には彼らが司会を務めるラジオ番組にも出演する。
執事 堀 研心