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寺宝探訪記

執事 堀研心

VOL.130 寺宝探訪記・特別編 ~「右繞三匝堂」の謎を追え!⑬

●前回からの続き
「右繞三匝堂・さざえ堂」とは、いったい何なのか。どんな建物で、その建築、建物(お堂)の意味は何なのか。これまでの内容を振り返りながら、まとめます。

「さざえ堂」に影響を受けたと思われる人びと・作品など

◆高橋 由一(たかはし ゆいち)
 日本で最初の洋画家。「鮭」の絵で有名。さざえ堂に影響を受け、その流れを汲んだ「螺旋展画閣」という美術館建設を構想。

◆阿部 今太郎(あべ こんたろう)
 さざえ堂に影響を受け、明治35年『建築雑誌』に、第5回内国勧業博覧会のために構想した「螺旋塔之圖」を発表。

◆フランク・ロイド・ライト(建築家)
 浮世絵の蒐集家で日本文化に影響を受けた建築家で、「かたつむりの殻」とも形容されるらせん状のグッゲンハイム美術館を設計。その構造は、構想はさざえ堂に通じる。

◆ル・コルビジェ(建築家)
 ル・コルビジェの建築の特徴「近代建築の五原則」は、さざえ堂の建築方法に類似。「無限成長美術館」を構想、上野の「国立西洋美術館」を建築。この構想・構造はさざえ堂に通じる。

最後に

 象先元歴が構想し、五百羅漢寺に完成した「右繞三匝堂(通称・さざえ堂」は、百体の観音像を安置する「観音堂」という信仰の対象、美術品、芸術作品を鑑賞する「美術館」としての機能、富士山を眺めることができる展望台・観光スポットとしての機能など様々な側面を持ち、特異な建築工法によるらせん状の建物の普及など、葛飾北斎や高村光雲など多くの人々や建物に影響を与えました。影響を受けた人々は「さざえ堂」の機能に注目したり、その美術館的要素を強めたりと、「さざえ堂」をさまざまに変化させていきました。しかし、形状や目的は変化しても、その建物は、その時代、その地域を代表するランドマークとしての役割を果たすようになりました。江戸の人々も、五百羅漢寺の「さざえ堂」を目にした時は、きっと「スカイツリー」を眺めたような、不思議な感動を覚えたのではないでしょうか。
 江戸のランドマークであった五百羅漢寺とさざえ堂。現在の五百羅漢寺も、東京の「ランドマーク」、人々の「心のランドマーク」を目指さなければなりません。

連載記事アーカイブ

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前住職 佐山拓郎(第40世 平成26年~令和3年)

昭和のある年の秋彼岸、東京下町の小さなお寺で生まれる。
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現住職 無垢品 宗生(第40世 令和3年 晋山)

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寺宝探訪記 執事 堀研心

執事 堀 研心