住職 佐山拓郎
巨人の上原浩治投手が引退した。私はアンチジャイアンツのため、普段は敵だとみなしていたのだが、WBCなどの国際試合の際や、メジャーに移籍してからは、基本的には応援していた。第一回WBCの準決勝、韓国戦での好投は、たぶん一生忘れないと思う。
野茂英雄や松坂大輔のような剛速球の持ち主ではなかったが、針の穴を通すようなコントロールとキレのいいスプリット。そして何より、平気で打者のインコースをつく、強気の投球術を持っていた。
野球というスポーツへの愛から、勝負へのこだわりが深く、ルーキーの年には、ヤクルトのペタジーニへの敬遠指示を不本意に思い、涙を流しながら、マウンドの土を蹴り上げたこともある。
引退会見でも、泣いていた。ワールドシリーズで胴上げ投手となった時も、涙を浮かべながら、思いきり喜んでいた。ひとつの道にこだわり、愛して、愛し抜いたからこそ、極限の状態の中で、感情があふれ出てしまうのだろう。
野球という戦いの中で、相手に感情を読まれるのは、弱みを見せているのと同じだ、という考えもある。中日時代の落合監督がそうだった。だが、上原はマウンド上で感情を見せ続けた。抑えた時は派手にガッツポーズし、打たれた時はうずくまって打球を見上げた。紳士の球団の中で、同い年の高橋由伸とは逆のやり方で、チームを鼓舞してきたのではないだろうか。
仏教とは、「感情を捨てて、自分を律することだ」と思われがちだが、すべての感情を捨ててしまっては、何も成し遂げられない。前を向く感情を常に持っていることで、良縁とつながりやすくなり、それを積み重ねていくうちに、いつしか大きな力となっていく。
苦しみにつながる執着は捨てなければならないが、生きるための幹である「こだわり」は持ち続けていなければならない。
上原も、感情を爆発させたあとは、きっちりと切り替えて、自分のやるべきことをやってきた。だから、メジャーリーグでも活躍できたし、アンチジャイアンツから憎まれてきたのだ。
こだわりが深い男であるがゆえに、時には涙も流す。敬遠の時の悔し涙。優勝の瞬間の、歓喜の涙。そして、引退しなければならなくなった、寂しさの涙。いや、やはり、自分の力が通用しなくなった、悔し涙なのかもしれない。
私も、上原や由伸と同じ、昭和五十年生まれ。若いころと比べると、だいぶ涙もろくなった。いくつになっても、悔し涙を流せるような、こだわりを持ち続けていたい。そう思わせてくれる、引退会見だった。
前住職 佐山拓郎(第40世 平成26年~令和3年)
昭和のある年の秋彼岸、東京下町の小さなお寺で生まれる。
前職はサラリーマン。縁あって目黒の羅漢寺の住職となる。
執事 福田 貴宏
現住職 無垢品 宗生(第40世 令和3年 晋山)
縁を大切にしたいと人気声優と手紙のやりとりを続け、
今年の1月には彼らが司会を務めるラジオ番組にも出演する。
執事 堀 研心