住職 佐山拓郎
法話コラム ウグイス谷から 住職 佐山拓郎
先日、池上彰さんの番組で、面白い場面があった。
政治をわかりやすく解説する番組で、池上さんは、番組のゲストや視聴者に、自分で考えるための材料を、わかりやすく提供していた。そんな中、あるタレントが「池上さん自身は、どう考えているんですか?」と質問したのだ。
池上さんは、番組の中で、自分の考えを述べたりはしない。あくまで、考えるのはゲストや視聴者自身である、というスタンスで司会している。ところが、このタレントには、この意志が伝わらなかった。「でも、ぼくは池上さんが一番正しいと思ってるんです」と続け、池上さんの意見を引き出そうとした。
「それが一番危険なんですよ」と、池上さんは仰った。「自分で考えないで、池上がなんて言うんだろう、それに従おうっていうのが、民主主義では一番いけないことなんです」と、そのタレントを諌めて、ひとりひとりが意見を持ち、自分自身で決めていく事の大事さを説いて、そのコーナーは終わった。
お経に、「自灯明、法灯明」という言葉がある。お釈迦さまは、「自分自身を灯明とし、他のものに頼ってはいけない」、そして「法(お釈迦さまの教え)を灯明とし、よりどころとせよ」と説いている。「法灯明」の前に「自灯明」がくる。すなわち、自分自身の灯明の方が、大事だと言っているのだ。
お釈迦さまも池上彰さんと同じことを言っている。もし仏教が「法灯明」だけなのだとしたら、我々は、単に、ひとりの意見に従って生きるだけの、奴隷のような信者になってしまう。
仏教は、人の数だけ真理がある。お釈迦さまの悟りを、自分のものとして、自分自身の問題に当てはめていく事で、少しずつ悩みが消えていき、人生が楽になっていく。
最初は、人の意見を参考にするのも悪くない。誰だって、最初から確固たる意見を持つ事など、できない。でも、いずれ、そこから離れる時がこないと、参考にできる指針がなくなる度に、次の人を探し続けないといけなくなる。それでは、自分自身の幸せは、つかめない。
お笑い芸人のダウンタウンは、漫才の舞台に立つ前に、紳助竜介の漫才を研究し尽くしたのだという。構成の仕方などを参考にし、あとは当然「自灯明」に従って、自分たちの漫才を作り上げた。紳助竜介を「法灯明」としつつ、「自灯明」を完成させたのだ。
余談だが、ダウンタウンが紳助竜介の漫才を参考にしている、と見破ったのは、本人である島田紳助さんただひとりだったらしい。本人にしかわからないレベルで、法を解析できたのだから、やはりダウンタウンは凄いのだが、本人の紳助さんも、凄い人なのだ。
前住職 佐山拓郎(第40世 平成26年~令和3年)
昭和のある年の秋彼岸、東京下町の小さなお寺で生まれる。
前職はサラリーマン。縁あって目黒の羅漢寺の住職となる。
執事 福田 貴宏
現住職 無垢品 宗生(第40世 令和3年 晋山)
縁を大切にしたいと人気声優と手紙のやりとりを続け、
今年の1月には彼らが司会を務めるラジオ番組にも出演する。
執事 堀 研心