執事 福田貴宏
前回、前々回の続きです。
千日回峰行を満行すると「北嶺大行満大阿闍梨(ほくれい だいぎょうまん だいあじゃり)」という称号が授与されます。北嶺とは比叡山のことです。行者は、すぐさま京都御所へ向かいます。通常、京都御所内は土足厳禁なのですが、満行者のみ土足参内(どそくさんだい)が許されます。そして天皇への加持祈祷を行います。その昔、天皇が病気になり京都中の僧侶の祈祷でも治らなかった際、回峰行創始者の相応上人が急いで御所に行き、土足のまま祈祷を行ったところ、治癒したということから始まっています。さらに満行後2~3年のうちに自ら発願し、100日間の五穀断ちをした後、7日間断食断水の十万枚大護摩供(別名「火あぶり地獄」)を行う人もいます。
これまでに回峰行が行われた年や行者の名前、満行した人数などは、織田信長の比叡山焼き討ちにより記録が焼失したため、わかりません。焼き討ちが1571年、創始した相応上人は831年~918年の生涯なので、約700年間の記録が失われたことになります。焼き討ち以降では、2009年に満行した光永圓道大阿闍梨で50人目となり、8.76年に1度の割合で回峰行が行われている計算になります。もし順調にいっていれば130回ほど行われたと思われます。
ここで、平成25年9月に亡くなられた酒井雄哉師を紹介します。回峰行の歴史に大きな足跡を3つ残された方です。1つ目は2回も行ったことです。1回目を終えて、何とその半年後にまた行に入られ満行しました。2つ目は年齢です。年齢的には少し遅めの仏道入門だったこともあり、2回目に達成した時の60歳という年齢は史上最高齢と思われます。3つ目は、本拠地を無動寺ではなく、5㎞ほど離れている飯室谷の不動堂にしたことです。これは実に400年ぶりなのです。本拠地を遠くしたことで、単純に歩く距離が往復で約10㎞増えます。歩く時間も2時間増えるので、40㎞8時間が日課となります。すると赤山苦行のときは1日80km14時間を100日間。さらに最後の年に行われる京都大廻りでの100日間は、1日94㎞約20時間近く歩くことになるわけで、睡眠時間はというと・・・。
現在、比叡山では釜堀浩元師が平成23年3月に千日回峰行を始め、去年「堂入り」を達成しています。今年は赤山苦行、順調にいけば平成29年9月に満行を迎えることになります。つまり来年の春ころ、京都大廻りなので、京都の町でお目にかかることができるかもしれません。お会いできたら無事を祈りつつ、手を合わせてそっと見守りましょう。
前住職 佐山拓郎(第40世 平成26年~令和3年)
昭和のある年の秋彼岸、東京下町の小さなお寺で生まれる。
前職はサラリーマン。縁あって目黒の羅漢寺の住職となる。
執事 福田 貴宏
現住職 無垢品 宗生(第40世 令和3年 晋山)
縁を大切にしたいと人気声優と手紙のやりとりを続け、
今年の1月には彼らが司会を務めるラジオ番組にも出演する。
執事 堀 研心