執事 堀研心
前回からの続き
二重螺旋のさざえ堂。会津のさざえ堂の不思議・謎を考察します。
二重螺旋(にじゅうらせん)構造・発想の源流
羅漢寺のさざえ堂は全国に広まっていきましたが、その中でも独特な構造の正宗寺三匝堂。右回りにらせん状のスロープを登り、頂上で太鼓橋を渡り、左回りに降りてくる。この三匝堂・二重らせん構造を正宗寺住職・郁堂は、どのようにして思いついたのか。
故・小林文次博士(日本大学理工学部)は、推論として次のように述べています。
『さざえ堂二重らせんの発想は、日本の仏堂建築の伝統から突如として異質の構想が生まれたとは考えられない。享保五年(1721)の洋書解禁によりオランダから輸入された洋書の中に、秋田藩主佐竹曙山(さたけしょざん)のスケッチ帳にある二重らせん階段の原図がある。これはロンドン出版のモクソン(1627~1700)著の写しであり、これを通じて一部に知られている事実があった。これは遠くダビンチにまでつながっているものであり、これらとさざえ堂とのつながりはさだかではない。しかし、西欧の例が単なる通路で逢ったのに対し、中心部に観音像を配し、あたかもライトのグーゲンハイム美術館を思わせるような会津さざえ堂は単なる模倣ではなく天才的な創造とみるべきである。』(「さざえ堂と飯盛山」より抜粋)
まず注目すべきは、二重らせん構造の発想が「レオナルド・ダ・ビンチにつながる」というところです。
レオナルド・ダ・ビンチの二重らせん構造
レオナルド・ダ・ビンチの名を知らない人はいないでしょう。「モナ・リザ」や「最後の晩餐」を描いた画家・芸術家として有名ですが、科学者、建築家、発明家としても知られています。余談ですが、「レオナルド・ダ・ビンチ」とは「ビンチ村のレオナルド」という意味です。日本風にいうと「めぐろ村の太郎」=「タロウ・ダ・メグロ」ということです。日本では「ダ・ビンチ」と呼ぶことが多いですが、外国では「レオナルド」と呼びます。「ダ・ビンチ」では通じません。
そのダ・ビンチ(ここでは、日本人に分かり易いように「ダ・ビンチ」と呼びます)が設計に関わったといわれる建物に、シャンボール城(フランス)があります。このお城の見どころは『二重らせんの階段』です。この階段で3階まで上り下りすることができます。次回に続く。
シャンボール城
シャンボール城の二重らせんの階段
前住職 佐山拓郎(第40世 平成26年~令和3年)
昭和のある年の秋彼岸、東京下町の小さなお寺で生まれる。
前職はサラリーマン。縁あって目黒の羅漢寺の住職となる。
執事 福田 貴宏
現住職 無垢品 宗生(第40世 令和3年 晋山)
縁を大切にしたいと人気声優と手紙のやりとりを続け、
今年の1月には彼らが司会を務めるラジオ番組にも出演する。
執事 堀 研心