住職 佐山拓郎
今年の夏、五百羅漢寺にも置かせていただいている『フリースタイルな僧侶たち』という冊子のweb版で「むちゃぶり法話グランプリ」という、法話投稿グランプリが開催された。
私も、かつてのしりとり法話王として参加させていただいたが、最終ノミネートまでは残ったものの、残念ながら三位という結果に終わってしまった。
ここに、その時の法話を掲載させていただき、次回優勝のための糧としたいと思い、編集部から転載許可をいただいた。興味のある方がいたら、ぜひサイトを訪れてみて欲しい。
むちゃぶり法話 お題「タピオカ」
タピオカブームらしい。以前にも流行した記憶があるが、その頃を知らない若者の間で、また流行っているようだ。仲間や恋人とともにタピオカを嗜むことを「タピ活」というのだという。
前回のブーム経験者としては、今さら並んで買うほどのものではない、と思っていたのだが、法話するにあたっては、一度試しておかなければならないだろう。何事も自身の経験から。戒を受けていない者から授戒できないように、タピ活を知らない者に、タピオカ法話はできない。
コンビニにもあるようだが、職場の若者から「並ばずにタピオカを買っても、それはタピ活ではない」と聞いた。意外と深いタピオカの道。仕方がないので、暑さの中、とりあえず専門店の行列に並んでみる。まわりの視線が痛い。
みな、楽しそうに喋りながら、あるいはスマートフォンを眺めながら、それぞれに待ち時間を過ごしている。
並んでいるうちに、少しずつ言葉の意味がわかってきた。
タピオカを買うことだけが、行列の目的ではないのかもしれない。一緒にいる誰かや、画面の中の誰かとともに、並ぶ時間を共有することも、タピ活のうちなのではないか。
実際に並ばなければ、気づくことはなかっただろう。タピオカはいつでもそこにあったのに、私はそれを見ないようにしていた。少し並ぶだけで、触れることができたのに。
「月かげの いたらぬ里は なけれども ながむる人の 心にぞすむ」という、法然上人の歌が浮かぶ。月の光はすべてに降り注いでいるが、それを見ようとしない者には届かない。阿弥陀さまの慈悲を月の光にたとえ、それに触れるために仏心の大切さを詠んだ、浄土宗の歌。
並んで買ったタピオカドリンクは、冷たく、甘く、そして美味しかった。仏心に、タピオカが染み渡っていく。
流行にのることは、今を生きること。「今、ここを生きる」のが、禅の教え。
タピ活の先に、浄土と禅の心があった。目の前に、タピオカの道が広がったような気がした。
前住職 佐山拓郎(第40世 平成26年~令和3年)
昭和のある年の秋彼岸、東京下町の小さなお寺で生まれる。
前職はサラリーマン。縁あって目黒の羅漢寺の住職となる。
執事 福田 貴宏
現住職 無垢品 宗生(第40世 令和3年 晋山)
縁を大切にしたいと人気声優と手紙のやりとりを続け、
今年の1月には彼らが司会を務めるラジオ番組にも出演する。
執事 堀 研心