住職 佐山拓郎
早いもので、今年も最後のコラムとなった。五百羅漢寺も、変革の過渡期の中で、少しずつ前に進んでいるが、個人的にも様々な事があった年だった。
まず何と言っても、1月に『流されない練習』という著書が出版された。私の本が、高校時代に最も通った、浅草の書店に並んでいた時は、「今まで生きてきて良かった」とすら思った。
その著書のおかげだと思うが、6月には「中外日報」というお寺業界の新聞に寄稿させていただいた。他山での法話の機会をいただく事も増え、著書を発表するという事は、社会的な信頼に繋がるのだ、と感じている。
子供の頃、先生に作文を褒められた事がある。それがきっかけで、私は文章を書く楽しさを知った。卒業以来、その先生とはお会いしていないし、この先もきっと、会う機会はないと思う。だが褒められた記憶は残っており、それがきっと、出版への第一歩となった。
浄土宗のいう「共生(ともいき)」は、縁の繋がりの中で、何らかの思いを託され、託された人が、さらに次代へそれを繋げていくこと。そういった意味で、私とその先生の縁は、まだ繋がっている。
先日、大学の同期が亡くなり、焼香をしてきた。
本堂の入口に、帰りに靴を間違えないようにするため、番号がふってあるチップがあった。11番という番号を手に取った時、ふいに、修行時代の彼との思い出がよみがえってきた。
20年前、知恩院でのこと。修行中は外部の情報が遮断されてしまうのだが、まれに、親族や恩師などが訪ねてきた際などに、情報にふれる機会が生まれる。誰かが外部情報を手に入れると、それは瞬く間に修行僧のあいだに広まっていく。
ある時、彼が「カズがレッズに移籍したらしいぜ」と、もっともらしく言ってきた。カズとは、言わずと知れたサッカー選手。背番号11の日本のスターである。海外移籍していたのだが、親会社の意向で、1年で日本のヴェルディ川崎(当時)に戻ってきていた。その経緯があるため、今さら国内の浦和レッズに移籍するはずなどないのだが、彼はウソをつくのが上手く、必ずどこかに信憑性を漂わせる。
その時も、しばらく疑っていた私が、結局信じ込まされてしまった。腹の立つ事に、信じきったその瞬間にウソをバラすのが、彼のやり方である。「ウソだよ、佐山くん」と言った彼の顔が、まだ私の脳裏に残っている。
その出来事を思い出した以上、先に浄土へ旅立った彼と、私の縁も続いている。このしょうもないウソを、次代の誰に、どのように伝えていくかが、私の目下の悩みである。
前住職 佐山拓郎(第40世 平成26年~令和3年)
昭和のある年の秋彼岸、東京下町の小さなお寺で生まれる。
前職はサラリーマン。縁あって目黒の羅漢寺の住職となる。
執事 福田 貴宏
現住職 無垢品 宗生(第40世 令和3年 晋山)
縁を大切にしたいと人気声優と手紙のやりとりを続け、
今年の1月には彼らが司会を務めるラジオ番組にも出演する。
執事 堀 研心