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寺宝探訪記

執事 堀研心

VOL.128 寺宝探訪記・特別編 ~「右繞三匝堂」の謎を追え!⑪

●前回からの続き
高橋由一がこだわった「らせん状の美術館」。

高橋 由一に影響を与えた、もう一つの「らせん状の美術館」
高橋由一は、「螺旋展画閣(らせんてんがかく)を構想する際に、五百羅漢寺の右繞三匝堂(さざえ堂)の影響をうけていました。らせん状の美術館構想には、もうひとつ、影響を与えた建物(計画)がありましたt。それは「大学南校物産会」という博覧会の会場計画でした。

大学南校物産会・幻の会場計画
「大学南校(だいがくなんこう)」とは、幕府の蕃書調所(ペリー来航後、蘭学に止まらない洋学研究の必要を感じた江戸幕府は、従来の天文台蛮書和解御用掛を拡充し、「洋学所」を開設した。しかし開設直後の安政の大地震で全壊焼失したため、「蕃書調所」と改称し開講。幕臣の子弟を対象に、蘭学を中心に英学を加えた洋学教育を行うとともに、翻訳事業や欧米諸国との外交折衝も担当した。)を引き継いだ洋学教育機関で、東京大学の前身です。この大学南校に、明治3年(1870)に設置された物産局が明治4年(1871)に「物産会」を開催しました。場所は招魂社(招魂社:明治維新前後から、また以降に国家のために殉難した英霊を奉祀した各地の神社。東京招魂社は明治12年に靖国神社と改称。地方の招魂社は、昭和14年に護国神社と改称)です。
当初計画された会場は一辺十二間の八角形、3階建て、回廊式の展示室をもつ建物でした。結果として、この建物自体は造られることはありませんでした。
高橋由一は大学南校物産会に作品を出展し、物産会から半年後、大学南校の画学掛の教官になります。東京大学総合研究博物館 木下直之氏は「大学南校物産会について」の中で、「明治41(1881)になって、由一が提案を始める螺旋展画閣構想(螺旋形をした美術館の建築)にも、物産会のまぼろしの会場プラン(八角形の博覧場)が一枚噛んでいないだろうか。(中略)大学南校物産局が考えた博覧場もまた、螺旋状ではないにせよ3層の回廊であり、そもそも博覧場構想がさざえ堂を参考にしたのかもしれない。(中略)最後にひとつだけ指摘しておけば、由一の提唱する美術館は、招魂社地展額館にせよ螺旋展画閣にせよ、現代の美術館とは性格を異にしている。それは、芸術作品の鑑賞の場というよりは、絵画を通して国家の歴史にふれる場所であった。(中略)由一は画家らしく、油絵による博物館を構想したのだった。」と述べています。
油絵による博物館を作りたいだけなら、らせん状の建物にする必要はなかったはずです。さざえ堂を模したらせん状の建物にすることで、その建物が神聖なもの、建物に納められる芸術作品は、高尚で神聖なものであるというイメージ・意味を持たせたかったのではないでしょうか。

阿部今太郎の考えた『螺旋塔之圖』“霊場”から“美術館”へ。
明治35年(1902)3月、『建築雑誌』183号に、阿部今太郎が、第5回内国勧業博覧会のために構想した「螺旋塔之圖(らせんとうのず)」を発表しました。早稲田大学理工学部建築学科の中谷礼仁氏、倉方俊輔氏は、「螺旋塔之圖と学会准員阿部今太郎について‐日本近代における伝統的建築技術の継承,変質の研究-」のなかで、螺旋塔之圖と高橋由一の螺旋展画閣との共通点と相違点として、以下のように述べている。
(中略)螺旋塔は日本近世中期以降に流行した庶民信仰に基づく三匝堂(ex栄螺堂)や,(中略)勧工場などに,多くの共通点を認めることができよう。とりわけ日本における油絵の本格的な紹介者であった画家高橋由一が,明治14年に構想したといわれる油絵展示施設の計画案である『螺旋展観閣』『螺旋展画閣』との類似性は著しく,回遊式の螺旋状の塔といった建築的構成,あるいはその趣意書の内容に相当の類似が見られる。(中略)しかし画家・高橋由一の『螺旋展観閣』と学会准員・阿部今太郎による『螺旋塔』とを見比べたとき,阿部の案の方がむしろ特異な外観を呈していることは興味深い。螺旋展画閣がその細部において従来の伝統的形式の影響を抜け出していないのに対し,阿部の螺旋塔は和風かあるいは洋風か,どちらか一方には収束しえない形態を獲得しているのである。この相違を両者間における約20年の時代的変遷の結果と見ることもできよう
高橋由一は、建物自体に神聖さを求めていたように思えますが、阿部今太郎は「らせん状の美術館」という建物には意味を持たせていないように思えます。これは、ル・コルビジェやフランク・ロイド・ライトのらせん状の美術館につながっていると思います。

ーー次号に続く。

大学南校

物産会草木玉石類写真

「西画指南」大学南校で使われた西洋画法の教科書)

博覧会図式

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