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法話コラム ウグイス谷から

住職 佐山拓郎

VOL.127 住職佐山のコラム(2017夏号)

先日、縁あって、上野の「東京文化会館」で読経させていただく機会があった。

オペラやバレエのプロデューサーだった檀信徒の方の、一周忌の法要を、文化会館のホールで行って欲しい、という要望があり、それにお応えした形になる。元・台東区民としては、非常に感慨深かった。関係者の方の話では、「会館史上、初めての仏事で、おそらく最後でもあるでしょう」との事で、さらに、「ぜひ会報誌に書き記しておいてください」と仰るので、お言葉に甘えて、ここに書いておく事にする。

ホールの中に入るのは、小学生のとき以来。ほとんど記憶もなかったので、懐かしいという感情もなかった。ホールは大きかったが、最大の声をあげれば、私ひとりでも、おそらく隅まで届くのではないかと感じ、安心した。音響効果がすごいので、まわりが静かなら、客席に声が響いていく。

ふだん、仏事を行うホールではないため、仏具や座席のチェックを、少しだけ行った。そのあとは、法要までの間、バレエダンサーの方や、裏方の方々がきびきび動く姿を、観察して過ごしていた。

舞台の袖で待機していた私の前を、バレエダンサーやオペラ歌手の方々が、次々に通っていく。全員、例外なく姿勢がいい事に感動した。靴ひもを結ぶ際も、立ったまま、しゃがまずに腰を折り曲げて結んでいた。プロデューサーだった故人の方針が、亡くなったあとも、浸透し続けているのだろう。

浄土宗の「共生(ともいき)」という言葉を意識させられた。共生とは、生きとし生ける者たちの横の繋がりだけではなく、過去から未来へつながっている「いのち」との共生でもある。それは、意志をもった本人がいなくなっても、受け継がれていく。受け継いでいく者たちが、先人の意志、縁を、途切れないように繋いでいく事もまた「共生」なのだ。

無事に法要を勤め終え、お斎(とき)の席に招待された。その会場には、今まで文化会館で公演を行った団体たちが残していった、何十年ぶんもの寄せ書きが、集められていた。ふだんは稽古にも使用されている部屋だと聞き、先人たちの想いがこもった、この部屋で稽古する事に、大きな意義があるのだろう、と心の震える思いがした。

世の中は縁でできている。台東区出身の私が、文化会館で史上初の仏事を行ったのも、縁によるものである。様々な人と「共生」してきた事で、今の私が成り立っている。感謝しつつ、精進していかなければならない、と感じる出来事だった。

「活かす哲学」下半期日程
7月8日(土) 8月12日(土) 9月9日(土) 10月14日(土) 11月11日(土) 12月2日(土)
すべて午後3時から 五百羅漢寺アミダ堂にて

 

 

連載記事アーカイブ

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ウグイス谷から 住職 佐山拓郎

前住職 佐山拓郎(第40世 平成26年~令和3年)

昭和のある年の秋彼岸、東京下町の小さなお寺で生まれる。
前職はサラリーマン。縁あって目黒の羅漢寺の住職となる。

仏教手習い草紙 執事 福田貴宏

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現住職 無垢品 宗生(第40世 令和3年 晋山)

縁を大切にしたいと人気声優と手紙のやりとりを続け、
今年の1月には彼らが司会を務めるラジオ番組にも出演する。

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