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法話コラム ウグイス谷から

住職 佐山拓郎

VOL.126 住職佐山のコラム(2017春号)

昨年の五月より、五百羅漢寺のアミダ堂で「哲学教室」を行っている。

「哲学」を辞書でひくと、「人生や世界、事物の根源のあり方・原理を、理性によって求めようとする学問」とある。難しそうに思うかもしれないが、私はそもそも、「仏教」を突き詰めていくと、「哲学」に行き当たると思っている。
釈尊が出家したのは「人生や世界において、苦しみをどうやったらなくす事ができるのか」という、人生の根源にかかわる問題の答えを求めようとしたからである。そして、長年の修行や瞑想を経て、「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」という考え方にたどり着いた。「仏教」は、今から二千五百年前に、お釈迦さまが「事物の根源のあり方を求めた」結果、たどり着いた「学問」なのだ。

少し前、「自分探し」という言葉が流行った。「自分」は、今、この場所にいるのだから、おかしな話なのだが、「自分探しの旅」と称して、海外へ出かける若者が増えた。「自分」と向き合う時間が少なかったから、「自分」が見つからないのだと思うが、その方法がわからないうちは、不安になっても仕方がない。
これを言ったら怒られるかもしれないが、私は、お釈迦さまの出家も、若者たちの「自分探しの旅」に似ていると思う。あの時旅に出た、大半の若者たちは、きっと「自分」が見つからないまま、なんとなく帰ってきてしまったのだと思うが、お釈迦さまは、出家して、厳しい修行や、菩提樹の下での瞑想を行うことで、結果として「自分」と向き合う事ができ、「悟り」という「哲学」にたどり着いた。

そういう意味で、「自分探し」と「哲学」は、密接に結びついている。「自分の根本」を追求していく事で、自分の「哲学」は生まれ、そしていつしか、「自分」自身が見つかっていく。

「哲学」は、あまり必要のない学問だと思われがちで、とっつきづらそうなイメージを持つ人も多いと思う。確かに、少なくとも、受験に必要な学問ではない。
だが本来は、「なんのために生まれて、なにをして生きるのか」という、受験より後の人生すべてに関わってくる学問であり、人間にとって、一番必要な学びのはずなのだ。

日本の未来を担う、子供たちに。
自分と向き合ってみたい、学生たちに。
生きているのがつらいと思ってしまう事もある、大人たちに。

本来は、すべての人のために必要な「哲学」を通じて、「仏教」にふれていただき、自分の人生について、考えるきっかけとしていただきたく、この教室を始めた。興味のある方は、ぜひ一度、五百羅漢寺のアミダ堂を訪れてみて欲しい。

きっとそこに、探していた、「自分」がいる。

 

連載記事アーカイブ

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ウグイス谷から 住職 佐山拓郎

前住職 佐山拓郎(第40世 平成26年~令和3年)

昭和のある年の秋彼岸、東京下町の小さなお寺で生まれる。
前職はサラリーマン。縁あって目黒の羅漢寺の住職となる。

仏教手習い草紙 執事 福田貴宏

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体験日記 執事 無垢品宗生

現住職 無垢品 宗生(第40世 令和3年 晋山)

縁を大切にしたいと人気声優と手紙のやりとりを続け、
今年の1月には彼らが司会を務めるラジオ番組にも出演する。

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