Top > 五百羅漢寺 > プロフィール

プロフィール

 

寺 名  天恩山 羅漢寺  (通称 天恩山 五百羅漢寺)
宗 派  単立  (1948年 黄檗宗より独立)
本 尊  釈迦牟尼仏  (拈華微笑)
開 山  鉄眼道光 禅師 (1630~1682)

 元禄8年(1695年)
 武蔵国南葛飾郡西葛西領亀戸村 本所五ッ目堅川の南
 (現 東京都江東区大島三丁目 付近)

開 基  松雲元慶 禅師 (1648~1710)
文化財


 東京都指定有形文化財(彫刻)
 松雲元慶禅師 作

   「木造釈迦三尊及び五百羅漢等像」

木造 釈迦如来及び両脇侍像 3
計305体
大伽藍阿弥陀両尊者立像 2
十六羅漢立像 5
十一面観世音菩薩立像 1
白衣観世音菩薩半跏踏下像 1
地蔵菩薩坐像 1
仏形坐像(阿弥陀坐像) 1
五百羅漢坐像(蘇頻弥陀坐像含む) 287
菩薩達磨坐像 1
鉄眼禅師倚像 1
松雲禅師倚像(象先) 1
白沢像 1
木造五百羅漢像残片 1括
紙本墨書寄進者簿 5冊
石造松雲元慶禅師塔 1基

年 表 - 風雪にたえて300年

 

西 暦 年 号 五百羅漢寺 関係事項
1630 寛永 7 鉄眼、肥後国下益郡守山に生まれる。
1644 正保 1 宝洲、豊後国臼杵に生まれる。
1648 慶安 1 松雲(俗名九兵衛)、京都に生まれる。
1661 寛文 1 宝洲、鉄眼の弟子となる。
1664 寛文 4 鉄眼、一切経刻蔵の発願を公慶に話す。
1669 寛文 9 鉄眼、隠元に一切経刻蔵の発願を話し、明蔵一切経と黄檗山内の土地を与
えられる。
1670 寛文 10 鉄眼、難波瑞竜寺住持となる。松雲(23)鉄眼に入門。
1675 延宝 3 松雲、瑞竜寺で薬師如来・十二神将像を刻す。
1681 天和 1 鉄眼の一切経6956巻の飜刻完成。
1682 天和 2 鉄眼、大阪にて連日飢民に施米する。鉄眼(53)示寂。
1687 貞享 4 松雲、五百羅漢像造立を志願し江戸に下る。
1691 元禄 4 松雲、羅漢像第1号を彫る。
1692 元禄 5 蔵前の16人の富豪、松雲の彫像のため、浅草寺寿命院境内に仮屋を建立。
1693 元禄 6 正月、羅漢像50体できる。丈六釈迦像彫造に着手。
1694 元禄 7 桂昌院、公金を下賜し10尊を彫営する。以後施財日々に多く、3~5年
の間に松雲の願いほとんど成る。
1695 元禄 8 松雲の五百羅漢像、公聴に達す。本所五の橋の南に土地を賜わる。
黄檗高泉を迎えて点眼供養し天恩山羅漢寺と号す。 黄檗山末となる。
1696 元禄 9 天恩山羅漢寺開創円満供養法会を営み、宝洲説法す。
牧野成貞内室高祥院、梵鐘を鋳して納める。仮堂前に石燈籠据えられる。
1700 元禄 13 五百羅漢像はほとんど完成。
1710 宝永 7 松雲(63)寂。
1713 正徳 3 寺社奉行本多弾正、羅漢寺を宝洲に預ける。
本山の撰により象先、羅漢寺住持となる。
1717 享保 2 象先、市中勤化の許可を得て、堂宇建立のため行乞をはじめる。
1719 享保 4 宝洲(76)寂。
1720 享保 5 西羅漢堂建つ(伽藍第1号)。庚申塔建つ。
1721 享保 6 大殿建立の許可あり、象先都下を行乞す。
1724 享保 9 吉宗、遊獵の折からはじめて羅漢寺に渡る。銀子下賜。
1725 享保 10 大雄殿成る。入仏供養を行なう。東羅漢堂建立の許可下りる。
常夜燈、禅堂、庫裡建つ。
1726 享保 11 東羅漢堂上宇梁、入仏供養を営む。
1727 享保 12 方丈、表門建つ。鐘桜を東羅漢堂の東南に移す。
1728 享保 13 大雄殿前左右に刹竿旗を建てる。大雄殿正面左右に銅燈籠建てられる。
1729 享保 13 盂蘭盆の大施餓鬼会を修行す。
1730 享保 15 吉宗晩課聴聞、銀子10枚下賜。
1731 享保 16 家重晩課聴聞、銀子5枚下賜。天王殿建つ。
1733 享保 18 象先、東堂に退隠し栄朝四代住持となる。
1734 享保 19 吉宗、寺地狭隘なるを見、土地を下賜する旨の言あり。
土地3000坪、民田1500坪を合し、寺地6000坪となる。
1735 享保 20 腰掛石の地形でき、吉宗来駕、行水をする。腰掛石、茶屋完成。
1738 元文 3 吉宗、来駕し禅堂で坐禅を見る。銀子10枚下賜。
1739 元文 4 吉宗、寺内に藤棚を造らせる。結制米500俵拝領。
1741 寛保 1 吉宗、上堂を仰付け上覧、銀子3枚、翌日10枚下賜。百観音堂を建てる。
1742 寛保 2 開基松雲元慶禅師之塔建つ(銘、栄朝記す)
1747 寛保 4 石燈籠2基、天王殿の前に建つ。
1749 寛延 2 中興象先(73)示寂。三代象先歴代大和尚之塔建つ。
1755 宝暦 5 法華供養塔建つ。
1759 宝暦 9 仮門の場所に表門(四つ足門)を建てる。
1767 明和 4 表門修復す。
1770 明和 7 大乗妙典奉納供養塔建つ。
1772 安永 1 栄朝示寂。
1774 安永 3 梵鐘改鋳される。
1780 安永 9 三匝堂建つ。百観音安置供養を修す。
1782 天明 2 法華塔建つ。
1783 天明 3 僧耆山詩碑建つ。
1791 寛政 3 表門修復。合会石塔建つ。
1799 寛政 11 法華供養塔建つ。
1824 文政 7 開山堂を方丈の東から大雄殿の西北に移し、渡り廊下を架ける。
1829 文政 12 羅漢寺大破、寺社奉行松平丹波守の許可を得て武州摂津2カ国で勧化。
1833 天保 4 三匝堂修復成る。観音像を遷す。
1846 弘化 3 長雨のため本所北割下水辺出水、羅漢寺被害甚大。
1855 安政 2 江戸大地震、本堂、三匝堂大破し、東西羅漢堂、天王殿倒壊す。
1856 安政 3 暴風雨と高潮で潰滅的打撃をうける。
1866 慶応 2 河口定次郎(のちの慧海)堺に生まれる。
1874 明治 7 羅漢寺境内、共同墓地となる。
1875 明治 8 三匝堂取り潰され、百観音像とともに売却される。
1887 明治 20 認許を得て本所区緑町四丁目三一番地に移転、仮堂宇を建立す。
1890 明治 23 河口定治郎、羅漢寺住職海野希禅から得度を受け慧海仁広の名を貰う。
慧海、羅漢寺住職となる。
1891 明治 24 慧海、僧籍を返上して住職辞意、後に改めて僧籍を取る。
1893 明治 26 安藤 照(のちの妙照)、「お鯉」の名で新橋照近江から雛妓に出る。
1897 明治 30 羅漢寺再建につき内務省、安田善次郎、本山より各100円の寄付あり。
慧海チベットへ発つ。
1900 明治 33 東京都府知事より、16655円82銭8厘の募金許可下りる。
1908 明治 41 「大日本名所図会」によると明治初年、内務省に届けられた仏像460体が、
この頃には370体程度しか残っていなかったという。
東京荏原郡目黒町大字下目黒六八一に移転する。
1917 大正 6 大暴風雨により羅漢寺大破。
1923 大正 12 関東大震災で羅漢寺大破。
1926 大正 15 「お鯉物語」大阪朝日新聞夕刊に連載。
1937 昭和 12 妙照、羅漢寺の零落ぶりを目のあたりにし、再建を発願する。
1938 昭和 13 妙照、羅漢寺住職となる。
1940 昭和 15 小久江慈雲(俗名茂・妙照の義妹)剃髪得度。
妙照、慈雲、中国に渡り、中支から北支にかけて前線の将兵の慰問をする。
1941 昭和 16 妙照、慈雲帰国。慈雲のみ再度渡航。上海海軍基地に塔婆第一号を建立。
1945 昭和 20 広島に世界最初の原爆投下、移動劇団桜隊丸山定夫ら9名被爆。
慧海(80)歿。
1946 昭和 21 羅漢寺、東京都より史蹟指定をうける。
1948 昭和 23 禅宗羅漢寺派として独立分派。
1951 昭和 26 日比谷公会堂で万国戦歿者慰霊大会が行なわれ羅漢寺の梵鐘が鳴らされる。
1952 昭和 27 徳川夢声「新作・お鯉物語」を発表。
武蔵野民族展で、東横が出品した仏像が松雲作・五百羅漢像11体と判明。
徳川夢声らにより境内に原爆殉難碑建つ。
1953 昭和 28 平山蘆江歌碑建つ。魚鳥供養行われる。
1954 昭和 29 読売新聞主催・秘宝名品展(高島屋)に獏王像出品。高浜虚子句碑建つ。
1958 昭和 33 金子妙雲、住職、福田ふく(照雲)副住職となる。興安友愛の碑建つ。
1960 昭和 35 原爆殉難者慰霊祭。平和の鐘10周年記念祭。
1970 昭和 45 釈迦如来、五百羅漢など294体の尊像、重要文化財に指定。
東急不動産より五百羅漢像11体返還され、重要文化財に追加指定。
1972 昭和 47 庖魂の碑建つ。
1981 昭和 56 現在の堂塔落成。竣工式、落慶大法要、第39世 斉藤晃道普山式。
1996 平成 8 阿弥陀堂落慶。入仏供養を営む。
1998 平成 10 羅漢会館落成。
2014 平成 26 第40世 佐山拓郎普山。

copyright